2か月の日々

働かずに生きてもう2か月も経ってしまった。

2か月、1年の6分の一を無職で過ごしたということだ。

 

周りの人から「ブログを更新しないのか」と聞かれるたびに「いやぁ、面白いことなんざ何一つ起きてやしねぇんで」などと江戸っ子らしく返事をしていた。たしかに面白いことなんざ一つも起きてやしなかったがただ一つ、悲しい話はあった。

2016年の10月末ごろ、私は恋人と一緒に恩師と食事をしていた。仕事を辞めることを真剣に検討していた頃で、私は大学内の仕事を視野に入れていた。教育関係の仕事に就く夢がある私は、少しでも教育的場面に立ち会える仕事をしたいと考えていたのだ。大学内の人事に詳しい恩師と会い、いま仕事があるかどうかを聞く必要があった。

イタリアン料理を囲いながら、恩師は大学の助手・副手の仕事に応募しろと話した。助手・副手はいわばアシスタントと事務を兼ね備えた仕事である。確かに、生徒と先生の架け橋になる仕事は理想的かもしれない。いや、そもそも夏頃からよく恋人と「もう仕事やめて副手になる」などと戯れこんでいたのだ。

11月に入ると、連絡先を知っていた学部長と約束を取り付けることができた。多忙ゆえ、私との約束を忘れなぜか池袋にいた先生を追い「なにか仕事はありませんか?」とと問いかけた。そしてやはり恩師と同様に助手副手の仕事を進めてくださったのだ。

助手と副手の仕事に応募してみようと決意すると同時に、偉い人への根回しをした私は履歴書を出した。1月頭の話だ。それから書類試験、筆記試験へと進んだ。

なぜか書類試験、筆記試験の合否の際、毎回大学にいた私はいろんな人と一緒に一喜一憂した。書類試験の連絡に不備があり、通達が1日ずれた際には「もう落ちた、まさか書類で落ちるとは」と大いに泣いたりした。はるばる遠くから恋人が最寄駅に駆けつけ、私を慰めるはめとなったりした(彼は可哀そうなことにこの後も節目節目で私を慰めなければならなかった)最終面接までいき、周りの人たちから「最終まで行けばもう受かるだろう」「佐々木が面接で落ちるわけがない」などと励まし、むしろもう働くのだと考えている人などもいた。そうした期待を背負って、夢と希望を胸に最終面接を受け、落ちてしまったのだ。2月15日の話である。

これには大層ショックだった。なんせ10月から準備しはじめ4か月もかけてきた。加えて多くの人が励ましてくれたりしたのに、私の力不足で残念な結果となったのだ。仕事を辞めた直後からずっとこのことばかり考えていた私は、落ちてから急激に憂鬱となってしまったのだった。そもそも、仕事を辞めたばかりの頃は身体をアドレナリンで動かしているような状況だった。前向きにならねば、今の状況を楽しまなければ、大丈夫、きっと仕事は見つかる。しかし、落ちたことですっかりアドレナリンが消えてしまった。いや、わかる。たった一つの仕事が落ちたぐらいで何を言っている?舐めているのか?といったお言葉はよくわかる。わかるのだが、どうもだめだった。傷つくのに疲れてしまった私には、とんでもない打撃だったのだ。こうして私は2月15日を境に、典型的な不眠症と無気力に陥ったのだった。悲しい話である。

この話をブログに書かねばならないと思っていたのだが(このブログでは恥ずべきことも愚かなことも書かねばならないというルールがある)なかなか書く気持ちになれずにいた。今、こうして書いているのはアルバイトの応募を今日やっとしたからだ。周りからすれば「やっとか!」と思うのだろうが、私からすれば「どうにかできた」である。どうにかやっと、心が傷つけられる心構えができたのだった。

面白い話なんざひとつもないが、面白いことや体験はあったので、そのことはまた別の機会に話そう。今は取り急ぎご連絡までに。