会社を辞めたこと言いましたっけ?

2017年が始まり、365日はすでに7%消費された。

残りは93%。私はその7%のあいだ、人生のレールを変えるレバーを力強くひいた。

かっこよく言ってはいるが、結論から言うと

新卒で入った会社を辞めたのだった。

 

会社を辞める

1月15日付で会社を辞めた。あまりにも急な出来事であったため、親しい人もこんなに辞めるのが早いとは思わなかったらしい。それもそのはず、私も思っていなかった。

上司に会社を辞める意思を伝えたのは1月5日、年が明けて最初の出勤日だった。  

朝10時頃、上司に「2月か3月で退職したいと考えています。」と伝えると、上司はさっと顔を上げ「それは考えることがたくさんあるな」とひっきりなしに呟いた。

その日は午後に今後の経営計画を立てる会議が予定されており、主たるテーマは私の業務内容変更についてだった。年が明ける前、私は社長に呼ばれ、業務内容の変更・実家からの引っ越し・給与体系の変更を命じられた。とてもではないが、受け入れられる内容ではなかった。そもそも、入社した際に「絶対にやらせない、させない」といっていたことが全部乗せスペシャルニンニクマシマシヤサイカラメである。頭の中のハードボイルドが煙草に火をつけながら「俺はその話、乗れねぇな。自分がかわいいんでね」と語りかけていた。その話が本格的に始動し始める前に、辞める意思を伝えなければならなかったのだ。

上司は辞める理由について一切聞かず、「辞めるのか、いいな~」といっていかに我が愛しの事業部が悲惨な状況かを話し始めた。そうだ、我々は非常にやばかった。口座状況をみて、一度PCの電源を落とす程度にはやばい状況だったのだ。

30分ほど話すと(もはや世間話だったので記憶にない)上司は社長との面会を準備してくれた。そこから急展開だった。

社長はまず、私が命令を背いたことに対して怒り、辞めることは迷惑だといった。そして、いろいろと言った。がよく覚えていない。強い意思の前にはどんな言葉も意味をなさない。ジョジョばりの確固たる決意を抱いた私だ、ダイヤモンドは砕けないのである。空中で社長の言葉をオラオラしていると、とうとう辞める時期の話になったようだった。私は改めて2月か3月を予定していると伝えた。すると社長はこう言った「勝手に辞めるといってきて、勝手に辞める予定日を決めることは君にはできない。迷惑だ」驚くことに、人生で最も言われたくない言葉であろう「迷惑」という言葉を一日に2回も3回も言われた。私はもはや辞めれるのであればいつでもいいという本音を隠し「勝手を言っているのは承知です。ですので、社長のご判断にお任せいたします。」と建前を述べた。

社長は120秒ほど熟考し、結論を出した。「では今月の15日で退職ということにしよう」本来であれば、社員は辞める2週間前までには退職の意思を伝えなければならない。また、会社側は社員には1か月前に伝えなければならないものである。ごく普通に法律違反である。それでいい。もういい。

私は「ではそれで」と答え、笑顔で握手した。退職まであと10日、出勤日数でいうと7日間。こうして当人も驚きの速さで退職したのであった。

 

会社を辞める理由は

そもそも、私が業務変更に速攻でNOを出したのには理由があった。

11月から未払賃金が発生していたのだ。未払賃金とはあらかじめ労働契約や就業規則で定められた賃金を、所定の支払日に支払われなかったことである。

未払賃金とは | 東京労働局

つまり給与の支給が遅延していた。そのため、遅延している日数は自分の貯金を切り崩して生活をしなければならない。また、1年で2度も給与支給日が変更になったため、やはり自分の貯金を切り崩さなければならなかった。そのような状況が続いていた中、給与が支払われず、頭を下げたこともあった。

 

というのが建前の話

そもそもそもそも、私は会社を1年半で退職しようと決めて入社した無礼者である。

私は夢の職業があり、その職業のために一般企業で社会勉強をしようと考えていた。舐めた考えであるかもしれないが、私は少しの寄り道をしてでも、自分の考えを曲げずに叶えるつもりだった。いまも変わらない。そのためには、勉強になる会社でなければならなかった。そこで気がオカシイ私は絶対向いていない職業、ブラックっぽい企業を探し、入社したのだ。社会勉強は辛ければ辛いほど、後に役立つ。経験からのポリシーだ。そしてその希望通りの会社だった。ただ、この時点では金銭的ブラックは一切求めていない。それとこれとでは都合良く話が別である。

 

辞める決意

 そんなこんなで働き始めた私は10月頃にあることに気がついた。そして大いに泣いた。

たった半年で私は私のアイディンティティの全てを失っていたのだ。

例えば、自己肯定感。意思の強さ、個性、それらが全てごっそりと消えたと感じた。

世の中の人々はどうだろうか?私は私のアイディンティティこそが生きる意味だと信じている。世界中の全ての人間が私に「NO」といっても、私は私に「YES」と言い続けたい。言い続けなければならない。好き好んで辛い道を選んで、愚痴をダラダラっ言っていても、私だけは「YES」と言ってあげたかった。しかし、「NO」としか言えなくなっていた。酷く愚かで、大きな過ちをした許しがたい存在だ。私の良さ、私たらしめるもの全てが失われたと感じ、死にたくなった。

 

 そうしたころ、給与が遅延し始めた。

分岐点に立ち、レバーを握るチャンスがきたのだ。

 

お金のことは?新卒で入社して一年経たず辞める?レールから外れて人生終わり?諦めて心折れた軟弱者?みんなは自分を殺して我慢して働いてるのに?舐めてる?

それでも、いい、って気がする。YESだ。

 

辞めた後

 とまぁ色々理由を書いたが、理由なんて後からいくらでも付けられるものである。成り行きだったのかもしれないし、本当にそれが理由だったのかもしれない。大事なのは行動し、その行動に非常に納得しているということだろう。私は仕事を辞める決意をし、そして辞めた。それだけの話だ。

働かずして生きる、なんの肩書もない私を生きるのは3歳以来、20年ぶりのことだ。毎日8時前に起き、その日にやることをやり、好きな友人や恋人と話をして寝る。食べて、笑って、時々将来を考えては電気ブランを舐める毎日だ。

私はレールを変え、「普通」ではないレールを走り始めた。行先は分からない。残り93%でどうなるか、さらにその先は私次第である。

唯一いえるのは、今の私はYESってことだけだ。